名古屋市観光 〜名古屋城篇〜
腹ごしらえを終え、そそくさと地下鉄名古屋駅から、名古屋城の最寄駅である「市役所駅」を目指す。名古屋の地下鉄は初めて乗ったんで知らなかったが、名城線っつう線は環状になってんのね。大阪にも環状線あるけど、地下にはないので軽く驚きやした。
んで、無事到着。
格好のよろしい市役所発見。
そんでもって自分が降りた出入口はこんな感じ。雰囲気あって良いですな。ちょっと城感出てきた感じ。
で、少し歩いていくと、あっちゅーまに東門に到着し入場、いや入城か。そんで、二之丸エリアを通り、しばし歩くと、
「東南隅櫓」が見えた。うん、この時点で石垣がイイっすね。そして、すぐそばの「表二之門」から本丸エリアに進入。
ここでかる〜く&大雑把に名古屋城の紹介。
初めは今川氏が築いた柳ノ丸が起源とされ、その後、織田氏がそれを奪取し、那古野城に改名し、さらにその後江戸時代に、徳川家康が九男義直のために築城し、徳川御三家の一つである尾張徳川家17代の居城として明治まで使われた。
そして、太平洋戦争時中の1945年に名古屋空襲で、焼夷弾によりほとんどが消失しており、1959年に天守が再建されおり、今現在は本丸御殿の復元工事真っ只中、といった感じだ。
そんで、すでに出来ている表書院などは公開されているということなので、ちょっくら見学…
とまあこんな感じで、ほぉ〜、はぇ〜と唸るほど、めちゃ豪華で綺麗に復元されておりました。
本丸御殿を後にし、天守に行く前にちょい寄り道。
「清正石」を拝見。
いろんな言い伝えで有名な加藤清正が、石塁の構築時に民衆を集めてこの巨石を運んだらしい。近くにあった絵には巨石の上に加藤清正が乗っかり、周りを民衆が囲い、皆でワイワイしながら綱で運んでいる様子が描かれていた。
ありえね〜(笑)。
よく調べたら、実際は石垣の施工大名は黒田長政だったので、説話みたいっす。だろうね(笑)。
そんなおもしろ場所を後にし、ようやく天守拝見!
接写ローアングルで!
金鯱アップで!
てな感じで、すっかり周りの観光客の一員と化し、写真を撮りながら観光を楽しんでいた。
天守内は途中までエレベーターで上がれるのだが、せっかくなので階段で最上階の展望室を目指すことにした。まあまあキツかったが、なんだかんだで汗だくになりながらも到着。
なかなかの見晴らし。名古屋駅周辺のビルもよく見えた。しかし、汗だくの自分は、近くにあった扇風機にあたったりしながら、クールダウンに必死だったりした。ちなみにこの展望室は7階にあたる。そんで売店も入っていたりする。大阪城と似てますな、と心の中でつぶやく。
しっかり休んだあと、各階の展示を拝見し、歴史を学びながら地階を目指し降りていった。その辺は割愛しやす。
そうして天守を後にし、北にある「不明門」を抜け反時計回りにぐるっと回り、天守を裏から拝見。見事な石垣の反り具合。いいすね〜。名古屋城で一番好きなのはところは、個人的には反り具合のいい石垣かも。
あと道中の石垣には至るところに、多種多様の刻印があった。
写真ではやや分かりづらいが、これらは石垣構築を命じられた諸大名が、他大名の石と区別するために刻んだ目印のようだ。こういったものを見るのもおもしろいな。
そのあとは、「西南隅櫓」を横を通り、城を出るために正門を目指した。
正門近くに来ると、
「必勝 カヤの木」なるものがあった。
このカヤの木は推定樹齢600年の市内唯一の国の天然記念物だそうだ。また、空襲時に火を浴びたのだが、生き残った貴重なものだ。
なんでも、この木から成る実は初代尾張藩主徳川義直が「大坂夏の陣」に出陣した際に、武勲を祈念して食され、徳川家は天下奉平を築き、それにあやかり尾張藩主は毎年正月にその実を食べて新年を祝ったと言われている、縁起の良い木だそうだ。
裏から見ると推定樹齢600年をうかがわせるぶっとい幹がよく分かる。何気に感動っす。
カヤの木をしばらく拝見し、そして、正門から城を出た。
この時点で正直に言うと、汗だくで、喉が渇き、疲れていたので、名古屋城観光の余韻に浸る余裕などなかった。このあと「市役所駅」まで戻るのだが、しばらく駅の出入口前にある噴水広場的なところで20分ぐらいは休憩していた。
お城観光は涼しい時にするべきだと、つくづく思った。そして、休みながら晩飯をどうするか吟味した。
おまけ
場内にあったマンホールをパシャリ。ご当地マンホールを見るのが旅の楽しみだったりする。名古屋市もなかなか凝ってていいすね。
つづく